若連の歴史
岸和田祭りの変遷および、若連の歴史
昭和34年(1959年)
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年番の下で、祭礼の安全かつ円滑な運営を行うための組織として「若連」が設立される。
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14日の曳出しが午前6時となる。
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全だんじりにブレーキを設置する。
昭和38年(1963年)
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駅前パレードが始まる。
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昭和大通りのアーケードが完成する。
昭和39年(1964年)
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14日(宵宮)の「曳出し」は、すべてのだんじりがカンカン場に集結する「曳出し」となる。
昭和41年(1966年)
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9月15日が「敬老の日」となり祝日となる。
昭和42年(1967年)
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岸城神社・宮入り後の下りのコースを、宮本町商店街を突っ切り昭和大通りへ出ていたのを、塔原線を下って欄干橋、船津橋へ至るように変更する。
昭和43年(1968年)
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夜の終了が午後10時となる。
昭和45年(1970年)
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紀州街道をはじめ、全コースが一方通行となり、現在の状況となる。
昭和47年(1972年)
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「岸和田だんじり祭り」がテレビに発放映。市役所前にて、NHKが録画撮影し、「ふるさとの歌祭り」で放映された。ゲストは花菱アチャコであった。
昭和48年(1973年)
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大阪千里の万博広場にて開催された「関西テレビ開局50周年記念イベント」に筋海町と春木南のだんじりが参加する。
昭和49年(1974年)
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年番と地車町会連合会の主催で、毎日放送による実況中継を放映する。これが民放テレビ発の放映となる。
昭和54年(1979年)
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「藤色のハッピ」に変える。若連メンバー・13名。
昭和56年(1981年)
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「第1回ソフトボール大会」開催。
昭和58年(1983年)
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「黒色のハッピ」に変える。若連メンバー・14名。
昭和60年(1985年)
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南町と沼町が岸和田のだんじりとして、「御堂筋パレード」に初参加する。
昭和63年(1988年)
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4月10日に、「岸和田城400年祭」として、54台のだんじりが臨海線、カンカン場に勢揃いし、パレード曳行を行う。
平成2年(1990年)
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若連の人員体制として、各町から必ず1名が出る、20名体制が確立される。
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試験曳きも、宵宮・本宮と同じコースとなる。
平成6年(1990年)
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「年番補助」発足。
平成10年(1994年)
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若連の人員体制として、各町から必ず2名が出る、40名体制が確立される。
平成14年(2002年)
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「紺色のハッピ」に変える。
平成16年(2004年)
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「敬老の日」がハッピー・マンデーに移行したのにともない、祭りが両日とも平日開催となる。
平成18年(2006年)
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「緑色のハッピ」に変える。
平成19年(2007年)
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祭礼日が(土日開催に)変更され見物客の増加が予想されたので、若連メンバーを増員する。
平成20年(2008年)
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本部にAEDを設置する。また、若連メンバーは「AEDの使用方法」を受講する。
平成21年(2009年)
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「年番補助」を「年番警備」と改称する。
平成22年(2010年)
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「若連50周年記念誌」を発行する。
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7月18日に、浪切ホールにて「若連50周年記念式典」を開催する。
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